元亀元年(1570年)徳川家康によって築かれた。 三河を平定し遠江の大半を手中に治めた家康は三河国岡崎城から当城に移り本拠とした。 浜松城は引馬城を取り込む形で築城されている。
天正14年(1586年)武田氏の滅亡により駿河・甲斐・信濃国を手中にした家康は駿河国駿府城に移り菅沼定政を城主とした。
天正18年(1590年)豊臣秀吉が北条氏を滅ぼすと家康は関東八ヶ国に転封となり武蔵国江戸城に入る。
和暦(西暦) | 事象 |
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天正18年(1590年) | 近江国佐和山より堀尾吉晴が十二万石で入封。 |
慶長5年(1600年) | 堀尾忠氏は出雲国富田に転封。 |
慶長6年(1601年) | 武蔵国松山より(桜井)松平忠頼が五万石で入封。 |
慶長14年(1609年) | (桜井)松平忠頼は江戸にて刺殺され除封。 常陸国より水野重央が二万五千石で入封。 |
元和5年(1619年) | 水野重央は紀伊国新宮へ転封。 武蔵国岩槻より高力忠房が三万一千石で入封。 |
寛永15年(1638年) | 高力忠房は肥前国島原へ転封。 美濃国岩村より(大給)松平乗寿が三万五千石で入封。 |
正保元年(1638年) | (大給)松平乗寿は上野国館林へ転封。 三河国西尾より太田資宗が三万五千石で入封。 |
延宝6年(1678年) | 太田資次の時、大坂城代となり転封。 摂津・和泉国より青山宗俊が五万石で入封。 |
元禄15年(1702年) |
青山忠重は丹波国亀山へ転封。 常陸国笠間より(本庄)松平資俊が七万石で入封。 |
享保14年(1729年) |
(本庄)松平資訓は三河国吉田へ転封。 三河国吉田より(大河内)松平信祝が七万石で入封。 |
寛延2年(1749年) |
(大河内)松平信復は三河国吉田へ転封。 三河国吉田より(本庄)松平資訓が七万石で入封。 |
宝暦8年(1758年) |
(本庄)松平資昌は丹後国宮津へ転封。 摂津・河内国より井上正経が六万石で入封。 |
文化14年(1817年) |
井上正甫は陸奥国棚倉へ転封。 肥前国唐津より水野忠邦が六万石で入封。 |
弘化2年(1845年) |
水野忠精は出羽国山形へ転封。 上野国館林より井上正春が六万石で入封。 |
明治元年(1868年) | 井上正直は上総国鶴舞へ転封。 |
天守(復興 天守)