寛永2年(1625年)丹羽長重によって築かれた。 慶長8年(1603年)立花宗茂が棚倉一万石を領して大名に復帰し、居城としたのは赤館といわれ、宗茂は後に三万五千石に加増され、元和6年(1620年)宗茂は旧領の筑後国柳河へ転封となった。かわって元和8年(1622年)に入封したのが丹羽長重で、常陸国古渡より五万石で入封するとはじめ赤館を居城としていたが、棚倉城を築いて居城を移し赤館は廃城となった。
和暦(西暦) | 事象 |
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寛永4年(1627年) | 丹羽長重は陸奥国白河へ転封。 摂津国より内藤信照が五万石で入封。 |
宝永2年(1705年) | 内藤弌信の時、駿河国田中へ転封。 駿河国田中より太田資晴が五万石で入封。 |
享保13年(1728年) | 太田資晴は上野国館林へ転封。 (越智)松平武元が五万四千石で入封。 |
延享3年(1746年) | (越智)松平武元が上野国館林へ転封。 遠江国掛川より小笠原長恭が六万石で入封。 |
文化14年(1817年) | 小笠原長昌の時、肥前国唐津へ転封。 遠江国浜松より井上正甫が六万石で入封。 |
天保7(1836年) |
井上正春は上野国館林へ転封。 石見国浜田より(松井)松平康爵が六万石で入封。 |
慶応2年(1866年) |
(松井)松平康英は武蔵国川越へ転封。 陸奥国白河より阿部正静が十万石で入封。 |
現在は本丸部分が亀ヶ城公園として残され、周囲には水堀が巡り高土塁が良く残っている。
唯一二の丸の西側のみ石垣があり、現在の棚倉中学校に残されている。
本丸内や周辺に無料駐車場がある。
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