築城年代は定かではないが白河結城氏によって築かれたと云われ、深谷伊豆守が城代であったという。
永禄4年(1561年)佐竹義昭が攻略し家臣糸井能登守を置き、天正3年(1575年)佐竹氏が赤館を攻略するまで最前線の城であった。
城は久慈川の東岸にある蛇頭山に築かれている。
主郭は概ね土塁に囲まれており、東側に桝形虎口が残る。山城に残る桝形虎口としてはかなり大きい部類である。
主郭から北東に伸びた尾根には大堀切、曲輪、二重の大堀切、曲輪、大堀切と続いており、この堀切の規模はまさに圧巻というべきものである。二重の大堀切の間には土塁があるが、その北端部はわずかに曲輪として使っていたようである。
北東麓に下流集会所がある。ここに駐車可能で、そこから南続く道に寺山館の道標が出ている。
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