築城年代は定かではないが戦国時代に河東田重継によって築かれたと云われる。 河東田氏は白河結城氏の一族で、 白河結城顕朝の次男朝重の四代後の重継が河東田郷を領して天王館を築き、河東田氏を名乗ったことに始まるという。
天正年間(1573年〜1592年)頃の城主は河東田清重で、天正3年(1575年)佐竹氏によって赤館が奪われると、翌年には天王館に軍勢を集結し、夜襲をかけて赤館を奪い返した。しかし、天正7年(1579年)佐竹氏は反撃に転じ天王館・白川城も攻略された。
城は社川の北岸にある南から派生した尾根の先端の半独立丘陵に築かれている。現在山頂には白旗神社が祀られており、神社の参道脇に堀跡が残る他は帯曲輪状の平坦地などが畑として残っている程度で、あまり明確な遺構は残っていない。
県道227号線を使って河東田集落に入り館山の南西麓河東田集落センター付近に道標が建つ。
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