築城年代は定かではないが鎌倉時代末期に関朝泰によって築かれたと云われる。 白河結城祐広の弟左衛門朝泰が関氏を名乗った。
天文年間(1532年〜1555年)には関備前守が城主であったが、佐竹氏の侵攻にあって落城し、天正5年(1577)にも佐竹氏は白河領に攻め入り小峰城を奪った。天正7年(1579年)佐竹氏と白河結城氏の和議が成立し、小屋山館は白河結城氏に返還され、関備前守が再び城主となったという。
城は社川の西岸にある西の山塊から東へ突き出した小山の頂部にある。
城は単郭で南北二段で南側が高くなっている。周囲には横堀が巡らされ西の尾根続きの部分は一部二重堀となる。この二重堀の外側の堀は北側が途中で途切れ、土橋状に残されている。
虎口は北の段の東側にあり土橋が架かる。土橋から入ると一旦右へ折れて入るようになっている。
土塁は北の段の北端から西側にかけて低土塁があり、北の段と南の段の境付近から西側に残る。
道はない。県道76号線沿いにある旗宿健康増進センターから西へ進み、橋を渡って左前方に見える山が城址。道路脇から山に入って直登あるのみ。
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