下野 芦野城しもつけ あしのじょう

城郭放浪記


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下野 芦野城の写真
掲載写真数
形態
平山城(310m/60m)
別 名
芦野陣屋,桜ヶ城,御殿山
文化財指定
町指定史跡
遺 構
土塁,郭,堀
城 主
芦野氏
歴 史

築城年代は定かではないが芦野氏によって築かれた。 築城に関しては二つの説があり、一般的に前者の方が有力とされている。 天文年間(1532年〜1555年)に芦野資興が太田道潅に兵法を学び芦野城を築いたという説と、天正18年(1590年)に芦野盛泰が築いた説である。

芦野氏は正平年間(1346年〜1370年)に那須資忠の三男(あるいは二男)資方(あるいは資宗)が芦野家を継いだことがわかっているが、それ以前については詳らかではない。しかし、吾妻鏡の建長元年(1256年)6月2日の条に「奥の大道を警固するべき路次の地頭」として芦野地頭があり、芦野館を居城とした人物がいたことは確かなようである。

天正18年(1590年)那須七騎の一人芦野盛泰は、主家烏山城主那須資晴には従わず、那須衆として豊臣秀吉の小田原城攻めに参陣し本領を安堵された。

慶長5年(1600年)関ヶ原合戦では徳川家康に属して上杉景勝の南下に備え、その功によって加増され約三千石を領して交代寄合の旗本となった。この時、芦野城の二の丸に陣屋が構えられ芦野陣屋として代々芦野氏が続き明治に至る。

説 明

芦野城は奈良川の東岸、芦野集落の東の山に築かれている。

那須歴史探訪館から遊歩道を登ると広い平地かあり、ここが芦野城二の丸で芦野陣屋が設けられてい所である。二の丸は東西両側に土塁が残り、西側の北が裏門、南側が表門であった。表門は枡形虎口になっている。

芦野城の本丸は二の丸の北に築かれている。南北に長い曲輪が本丸で、空堀を挟んで北に一郭、東に三郭ある。

裏門の写真

裏門(移築 城門)


所在地: 民家(栃木県那須郡那須町大字芦野)

案 内

芦野集落にある那須歴史探訪館に駐車場があり、ここから遊歩道がある。

最寄り駅(直線距離)
5.6km 黒田原駅
6.9km 高久駅
7.5km 豊原駅
9.5km 黒磯駅
所在地/地図
栃木県那須郡那須町大字芦野字後館
付近の城(直線距離)
0.5km 下野 芦野館
0.6km 下野 刑部郭
0.8km 下野 館山城
2.9km 下野 伊王野城
3.2km 下野 伊王野館
3.4km 下野 二岐ヶ峰城
3.7km 下野 備中郭
4.4km 下野 鮎瀬館
5.1km 下野 沼野井館
5.2km 下野 芋渕要害
5.5km 下野 梁瀬城
6.0km 下野 田中要害
7.4km 下野 稲沢館
7.5km 下野 大塚要害
8.4km 下野 矢組館
8.5km 下野 大久保館
8.6km 下野 青木要害
8.6km 下野 川田館
8.7km 陸奥 関ノ森城
9.2km 陸奥 小屋山館
9.2km 下野 羽黒山要害
9.3km 下野 高館城
9.3km 下野 桜田要害
9.4km 下野 佐久山館要害
最終訪問日
2010年5月
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