詳細不明。芦野氏の重臣室越氏の居館・砦と云われる。
刑部郭は芦野城のある山塊の南の先端に築かれていた。
「栃木県の中世城館跡」によれば、丘陵の頂部に30aの削平地がみられ、丘陵の裾には明治頃まで土居を巡られた所が残っていたとある。これを頼りに芦野氏の旧墳墓辺りから山に入っていったのだが、山頂に至っても削平地と呼べる程に加工した地形は見あたらず、尾根伝いに300m程北上してみるもそれらしき場所が存在しない。「那須の戦国時代」などの書籍に刑部郭の写真が掲載されているのだが、いずれも竹林の写真である。おそらくこの写真は山裾の土居を巡らせていたとされる所の写真とみられ、これは登るときに利用した芦野氏旧墳墓の上にある竹林である。この辺りはやや傾斜のある平地が段になっている。