築城年代は定かではないが白河結城家の老臣熊田伊賀忠光によって築かれたと云われる。
永正7年(1510年)本家白河結城氏と小峰氏は対立し結城政朝は小峰朝脩を自害させる。朝脩の父小峰直常は岩城常隆の援軍を得て政朝を攻め、政朝は逃亡し、白河結城氏の勢力は衰えていく。その後、政朝の子顕頼は直常によって庇護され白川城から小峰城へと移り、小峰家は顕頼の子義親が継いで伊賀館へと移った。
城は阿武隈川の北岸にある独立丘陵に築かれており、山頂には関和神社が祀られている。 関和神社の周囲を土塁が巡り、その下に空堀が一部残っている。