陸奥 滑津館むつ なめつたて
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築城年代は定かではないが石川光房によって築かれたと云われる。 光房は陸奥石川氏初代石川有光の五男という。
文安元年(1444年)には舟尾昌忠が城主で、はじめ白河結城氏に属していたが後に佐竹氏に転じた。天正18年(1590年)伊達政宗によって攻められ落城した。
城は阿武隈川に泉川が合流する地点の西、東へ伸びた丘陵の先端に築かれている。
現在は開墾され農地となって全く遺構を留めていないようである。手元の資料によれば、南北に堀が二条あったようであるが、これも埋められたようだ。