築城年代は定かではないが康平年間(1058年〜1065年)頃石川有光によって築かれたと云われる。 石川氏は前九年の役で源頼義に従って源頼遠・有光父子は安倍氏と戦い、父頼遠は戦死したが有光はその功によって所領を得て、白川郡藤田郷に藤田城を築いて居城とした。しかし、さらに水利の良い場所を求めて三芦城を築き居城を移した。
その後石川氏の一族藤田光祐の居城となり、後に光祐は鴫山へ城を築いて移り、子孫は大寺氏と名乗ったが、藤田城は大寺氏の支城として維持された。
天正10年(1582年)一説に天正16年(1588年)大寺清光は惣領石川昭光と戦って敗れ所領を没収された。
城は阿武隈川の支流藤田川の南の丘陵に築かれている。
城は谷を囲む様にu字型に曲輪を配し、主郭は東側にあり南北に長い曲輪で南側がやや高くなっている。主郭の北下にある曲輪は南側に虎口を開く。詳しい解説は写真の縄張図と案内板を読んで頂ければ良いだろう。非常に詳しく解説している。
良く整備されているのだか、城址に入る場所がわからなかった。整備されていとは知らなかったので北東側に回り込んで山に入り、よじ登って行くと曲輪3へと出てきた。実は車を置いた場所から西側に少し歩いていれば搦手があったのだ。
内部は非常に良く整備されているのですが、入口がわかり辛いです。国道118号線沿いに案内板が建っていますが、気づかずに別の所から登ってしまいました。降りる時に国道側に出てみましたが、案内板とは別の場所でそこには入口に何も有りません。きれいに整備されているので入口をもう少しわかりやすく整備して頂ければ有りがたいです。
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