築城年代は定かではないが鎌倉時代に小松越前によって築かれたと云われる。
その後に安積伊藤氏一族の伊藤氏の代々の居城となったが、天文年間(1532年〜1555年)には二階堂氏の支配が及び須田右京が在城する。しかし、二階堂氏の支配は天文21年(1552年)に終り、再び石川氏の支配する所となり伊藤氏が城主となった。 永禄年間(1558年〜1570年)に伊藤祐春が没すると、国神館主中畑春辰は祐春の跡を相続した祐勝が幼少で弱体化したことを利用し、一族郎党を引き連れてタテナシ館へ押し込み城を横領し居城を移した。伊藤祐勝はそのまま帰農して伊藤氏は江戸時代を通じて庄屋として続いたという。
城は阿武隈川へ流れ込む二本の支流に囲まれた独立丘陵に築かれている。
現在城跡の大半は開墾されて農地となっているが、大手道や曲輪の形状などは良く残っている。大手道は東にあり、農道となっているが屈折した虎口が現在も残り本丸へ通じる。本丸の南西にあるのが二の丸、その南にあるのが三の丸である。
南麓を東西にはしる県道42号線沿いに案内板が建つ。
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