康平5年(1062年)石川有光によって築かれた。 三芦城の支城として築いたもので、その後一族の川尻氏が城主となった。
応永14年(1407年)川尻氏は小平城へと領地替えとなり、三沢城より一族の板橋氏が移った。天正3年(1575年)佐竹氏と石川昭光の連合軍は、雲霧城の北で葦名氏・白河結城氏・田村氏・二階堂氏の連合軍と戦って敗れ、それ以後、川辺以北の領地を失った。
城は中腹に川辺小学校が建つ小山に築かれている。
主郭は山頂にあって北西から南東に向かって長く伸び、北側には社が祀られている。 北側は垂直の岩壁となり、円通寺館山霊園へ抜ける道筋に石積の段が残っている。 この石積の段が城郭遺構なのか後世の畑などの遺構なのかはわかりませんが、「福島県の中世城館跡」には遺構として石塁があげられています。
どこから登るのか良くわかりませんが主郭には社が建っています。南東側にある円通寺館山霊園の奥から山に入れます。主郭まで登る道があるかどうかはわかりません。
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