承保元年(1074年)に石川有光によって築かれたと云われ、二代光祐、三代光家の頃に本丸、二の丸、三の丸、富士の丸を整備したと伝えられる。
文安3年(1446年)光義の頃に大寺氏と称し、大寺城と改めた。天正10年(1582年)大寺清光のとき主家である石川昭光とその家臣曲木信光とのあいだで領地問題が起こり、石川氏と大寺氏が戦ったが大寺氏は敗れ勢力は衰退する。大寺氏はその後二階堂氏や岩城氏に通じて勢力の回復を図ったが、二階堂氏は伊達、石川軍に敗れ、大寺氏もまた所領を失った。
大寺城は標高408mの山に築かれており、現在は公園として整備されている。
山頂の主郭を中心に周囲に段曲輪を配した縄張りで、公園になっていない部分の大半は畑や民家が建っている。駐車場の東側が富士の丸で、その東側に南北に堀切状の地形があるが峠道だろうか。
主郭の東下に公園の駐車場がありトイレもある。
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