築城年代は定かではない。須賀川城の支城で天正17年(1579年)伊達政宗が須賀川城を攻撃した際に激戦地となった。須賀川勢は大将須田美濃守盛秀の手勢二百騎、塩田右近大夫の手勢、鉄砲組鈴木六郎左衛門尉・泉田将監・須田源蔵など鉄砲三百挺と佐竹氏の援軍が籠り、伊達勢は先陣長沼新国上総介、二陣白石若狭守、後陣四保但馬守などで攻めたて激戦となった。須賀川城が落城すると須田盛秀は和田城に火をかけて佐竹氏を頼って落ちていった。
八幡崎城は須賀川城の南西にある標高274.7mの丘陵に築かれている。
山頂には八幡神社が祀られ、その周囲を囲むように土塁が残る。土塁は神社をコの字状に囲み、その先も折れをもって続いている。ただ、土塁の外側は切岸になっておらず、内部と外部は同じ高さの平坦地で、あまり防御的なものとは思えない。
参道は西側の県道67号線沿いだと思っていたが、反対側の東側にありそこに案内板が建っている。ただし、東側は宅地で駐車スペースの確保が難しい。
最寄り駅(直線距離)