築城年代は定かではない。南北朝時代から佐々河城として文献に登場する城で、宇津峰城を巡る戦いで佐々河合戦が行われた。
天文年間(1532年〜1555年)には須賀川城主二階堂照行の家臣須田佐渡守頼隆が城主で、天正17年(1589年)伊達政宗の軍勢に攻められ落城した。
篠川城は阿武隈川西岸に築かれている。現在残る遺構は南北二郭の平城で、北が本丸、南が二の丸とされる。本丸、二の丸は空堀が巡らされていたようで、現状でも大半が確認できる。東側は阿武隈川によって削られているようで、本丸の西にある高土塁の上に東館稲荷神社が祀られている。