築城年代は定かではないが南北朝時代に築かれたと云われる。
南北朝時代に南朝方の拠点となった宇津峰城は、北畠顕信が守永親王とともに暦応3年・興国元年(1340年)頃に入城した。貞和3年・正平2年(1347年)北朝方の奥州探題吉良貞家が宇津峰城を攻略し、北畠顕信は守永親王とともに出羽へ逃れた。勧応2年・正平6年(1351年)北畠顕信は多賀城を奪い返して吉良貞家を追い払い、陸奥大介兼鎮府将軍に任ぜられ多賀城に入っが、翌年には吉良貞家によって多賀城を奪われ、再び宇津峰城に籠った。吉良貞家は宇津峰城を包囲して一年余りに及ぶ攻防が行われ、文和2年・正平8年(1353年)五月四日宇津峰城は落城した。
宇津峰城は標高676.9mの宇津峰山頂に築かれている。
山頂西にある社が祀られた所を「千人溜り」と呼び周囲に土塁が巡らされている。 山頂東には「長平城」と呼ばれる曲輪があり、南東へ伸びる尾根に堀切が残る。
登山ルートはいくつかあるようです。国道49号線と県道144号線付近から宇津峰へ至る林道を使って終点の駐車場から登りましたが、この辺りからだと比高は100mもありません。
最寄り駅(直線距離)