築城年代は定かではないが鎌倉時代に田村庄司によって築かれたと云われる。 田村庄司は藤原姓で、後に三春城を居城とした平姓の田村氏とは別系統という。 小山義政の乱で鎌倉公方足利氏満の追討で敗れた義政の遺児若子丸は奥州へ逃れ、田村庄司を頼った。応永3年(1396年)田村庄司は鎌倉公方方と戦って敗れ衰退した。
その後、平姓田村氏の居城となったといわれ、永正年間(1504〜1521年)に三春城を築いて居城を移した。天正10年(1582年)二階堂氏が守山城へ侵攻したが、田村勢は宿尻で持ちこたえ二階堂氏を撃退した。
天正19年(1581年)会津に入封した蒲生氏郷の家臣田丸具直が城主となり、蒲生氏に替わって上杉景勝が会津に入封すると家臣須田長義・本庄繁長・竹俣利綱が城主となった。再び蒲生氏が会津に入封すると蒲生郷成が城主となり、元和の一国一城令によって廃城となった。
守山城は黒石川と谷田川に挟まれた丘陵に築かれている。
守山小学校の建つ地が三の丸で、東の八幡神社境内が本丸、その間に二の丸がある。 本丸は周囲に低い土塁跡が残る程度であるが、二の丸と三の丸の間の内堀が長さ70m、高さ6mの石垣が見事に残っている。
守山小学校南の宅地との間の道路を入って行った所に案内板と八幡神社の駐車場がある。
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