築城年代は定かではないが松平頼貞によって築かれた。
守山藩松平氏は御三家の一つ水戸徳川氏の分かれで、徳川頼房の四男松平頼元が寛文元年(1661年)常陸国額田二万石を分知され額田藩となったのが始まりである。元禄13年(1700年)二代頼貞のときに陸奥国田村郡に領地替えとなって二万石が与えられたため、守山に陣屋を築き守山藩となった。
守山藩は大名が江戸に在住して参勤交代を行わない定府大名で、代々続いて明治に至る。
守山陣屋は磐城守山駅が東へ伸びた道路の交差点付近にあったというが、現在は一面宅地となっており遺構はないようである。南に少し離れたところにある守山会館には葵の御門が掲げられている。