常陸 水戸城ひたち みとじょう

城郭放浪記


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常陸 水戸城の写真
掲載写真数
形態
平山城(30m/24m)
別 名
馬場城
文化財指定
県指定史跡
遺 構
門,石垣,土塁,郭,堀
城 主
馬場氏,江戸氏,佐竹義宣,武田信吉,徳川頼宣,水戸徳川氏
歴 史

建久4年(1193年)馬場資幹によって築かれた館が始まりとされる。 資幹は源頼朝からこの地を賜わり大掾に任ぜられた。

応永33年(1426年)河和田城主江戸通房が、城主大掾満幹が府中城に赴いた留守中に水戸城を占拠する。その後、江戸氏が水戸城を居城とする。

天正18年(1590年)佐竹義宣が江戸氏を討ち水戸城を奪った。 その後、佐竹氏が水戸城を居城としたが、慶長7年(1602年)佐竹義宣は出羽国久保田に転封となった。

慶長7年(1602年)下総国佐倉より武田信吉(家康五男)が十五万石で入封するが、信吉が病没したため、慶長8年(1603年)徳川頼宣(家康十一男)が二十万石で入封する。 しかし、頼宣は慶長14年(1609年)駿河国府中へ転封となり、常陸国下妻より徳川頼房が二十五万石で入封、以後御三家として水戸徳川氏が続き明治に至る。

説 明

城は千波湖の北の丘陵に築かれており、東から西に下の丸、本丸、二の丸、三の丸と配されていた。

本丸は水戸第一高校となり、西側に土塁が残る他、城門が移築されて現存しており、見学の為に入ることが許可されている。

JR水戸線が本丸と二の丸の間の空堀で、二の丸は幼稚園から高校に至るまでの学校の敷地となり、見学することはできない。 ここに御三階櫓があった。

県道232号線が二の丸と三の丸の間の空堀で、三の丸には藩校である弘道館が現存しており見学できる。講道館の北側には道路に面して土塁と空堀、さらに西の三の丸庁舎への駐車場側には高土塁や土橋がかかった大空堀が残る。

2020年二の丸大手門や二の丸角櫓が復元された。

弘道館の写真

弘道館(現存 その他)


所在地: 弘道館(茨城県水戸市三の丸)

城門の写真

城門(移築 城門)


所在地: 水戸第一高校(茨城県水戸市三の丸)
県指定有形文化財
本丸の表門と考えられている
案 内
弘道館に無料駐車場がある。
以下、訪問当時のものであり、変更されている可能性があります。

開館時間午前9時-午後4時まで
休館日12/29-12/31)
料金大人190円 子供100円
最寄り駅(直線距離)
0.6km 水戸駅
1.2km 常陸青柳駅
2.4km 偕楽園駅
3.2km 東水戸駅
3.5km 常陸津田駅
所在地/地図
茨城県水戸市三の丸
付近の城(直線距離)
1.8km 常陸 吉田城
3.3km 常陸 武田氏館
3.6km 常陸 見川城
4.9km 常陸 金上城
6.1km 常陸 河和田城
6.3km 常陸 長者山城
6.6km 常陸 中根城
7.1km 常陸 堀の内館
7.7km 常陸 寄居城
8.0km 常陸 仲の房東館
8.1km 常陸 中坪館
8.3km 常陸 高野氏館
8.8km 常陸 宮田掃部助館
8.8km 常陸 武平山館
8.9km 常陸 飯富長塁
9.0km 常陸 清水城
9.2km 常陸 小山城
9.5km 常陸 一杯館
9.9km 常陸 神生長塁
最終訪問日
2021年5月
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