築城年代は定かではない。源義家に従って功のあった石井輝朝が新地山に館を築いたのが始まりとも云われる。
文明年間(1469年〜1487年)には石井丹波が城主であった。天正年間(1573年〜1592年)には白河結城氏と佐竹氏との争いがあり、白河結城氏は大塚宮内左衛門尉を館主として置いて防衛させたが、天正7年(1579年)佐竹氏によって攻略されたという。
新地山館は阿武隈川に面した標高393.2mの山に築かれており、主郭には羽黒神社が祀られている。
主郭は羽黒神社が祀られた山頂部で、そこから北東、南、南東の各尾根に曲輪を展開している。
主郭から南尾根を経由して参道が一直線に伸びているが、本来の導線は曲がっていたようである。主郭の南したには土塁のついた曲輪があり、中央に参道石段があって横矢が張り出すような形になっているが、本来の虎口は南東側に開口しており、そこから虎口受けの曲輪を経て南尾根側に戻るようになっている。さらに南尾根の小さな段差は曲がりながら進む構造で、大きな堀切に至る。堀切から西へ伸びた竪堀は主郭の西下から続く横堀と繋がる。西側面の横堀は上下二段で途中竪堀のようになって伸びている。
主郭から北東側へ進むと堀切を経て大きな段曲輪群に至る。北下には西側は土塁でつながってl字土塁のようになった大きな空堀がある。
南の県道沿いに羽黒神社への参道入口がある。
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