文化財指定
市指定史跡
遺 構
郭,堀
城 主
赤井氏,足利長尾氏,榊原氏,大給松平氏,徳川綱吉,松平氏,太田氏,松平氏,井上氏,秋元氏
説 明
弘治2年(1556年)赤井照康によって築かれたと云われるが定かではない。
越後上杉氏が関東に進出すると足利長尾氏が城主となるが後に北条氏の支配するところとなり北条氏規が城主となった。
小田原の役では石田三成が攻め寄せるが落城せず後に開城する。
北条氏滅亡後に関東に入部した徳川家康は榊原康政を十万石で入れた。
榊原氏は3代続いた後、陸奥国
小峰に転封となり替わって大給松平氏が入封する。
寛文元年(1661年)3代将軍徳川家光の四男綱吉が二十五万石で入封する。
綱吉が将軍となるとその子徳松が城主となるが徳松の死によって館林城は破却された。
宝永4年(1707年)6代将軍家宣の弟松平清武が二万四千石で入封し築城し直した。
のち太田氏、松平氏、井上氏、秋元氏と入れ替わり明治を迎えた。
案 内
最寄り駅(直線距離)
1.2km 館林駅
1.9km 渡瀬駅
2.4km 茂林寺前駅
3.2km 成島駅
4.2km 川俣駅
所在地/地図
最終訪問日
2006年5月