文政11年(1828年)堀田正敦によって築かれた。 江戸時代初期には佐野城を居城とした佐野信吉が治めていたが、伊予国宇和島藩の富田信高の改易に連座して信吉も改易となり一時天領となっていた。
貞享元年(1684年)下総国古河藩主堀田正俊の三男正高が一万石を分地され、佐野藩が再度立藩されたが、元禄11年(1698年)近江国堅田に転封となった。
文政9年(1626年)堀田正敦が近江国堅田から一万六千石で再び佐野に転封となり、その後正衡、正頌と続いて明治に至る。
現在陣屋跡は開墾され田畑や住宅地となっているが、国道50号線から一本北側へ入った住宅地の道路沿いに小さな公園があり、佐野城の説明板が建てられている。
ここから南側の国道50号線の方に歩いて行くと一部残った土塁の上に堀田稲荷が祀られている。
大手門(移築 城門)
裏門(移築 城門)