慶長7年(1602年)佐野信吉によって築かれた。 信吉は新たに佐野城を築城して唐沢山城より城下町を移したが、城は完成を見る事無く、信吉の実兄の伊予国宇和島藩主富田信高の改易に連座して所領没収となった。
城は佐野駅の北の丘陵に築かれている。 丘は南北に長く伸びているが、途中空堀で断ち切り、北から北出丸、本丸、二の丸、三の丸を配している。
現在は城山公園となっており、佐野駅を北側へ降りると三の丸という非常に利便の良いお城である。
発掘調査で建物跡、井戸、石組溝などが検出されたが、現在は埋め戻され出土した石の一部が列べられている。
三の丸門(移築 城門)