伊予 宇和島城いよ うわじまじょう

城郭放浪記


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伊予 宇和島城の写真
掲載写真数
形態
平山城(73m/45m)
別 名
丸串城,板島丸串城,鶴島城
文化財指定
国指定史跡
遺 構
天守,門,石垣,郭,堀
城 主
橘遠保,西園寺氏,小早川氏,藤堂高虎,富田信高,伊達秀宗,伊達宗利,伊達宗贇,伊達村年,伊達村候,伊達村寿,伊達宗紀,伊達宗城,伊達宗徳
歴 史

築城年代は定かではないが戦国時代末期に築かれた丸串城がその前身である。

天正3年(1575年)には黒瀬城主西園寺公広の弟西園寺宣久が丸串城に入り、豊後の大友氏に備えた。天正13年(1585年)羽柴秀吉により四国征伐の後、伊予一国は備後国三原城主の小早川隆景に与えられると、家臣の持田右京を城代として置いた。天正15年(1587年)小早川隆景は筑前国名島へ転封となり、替わって戸田勝隆が大洲へ入封すると、家臣の戸田信家が城代となり丸串城へ入った。

文禄4年(1595年)藤堂高虎が七万石の大名として板島に入封し丸串城を居城とすると、文禄・慶長の役の功によって一万石を加増され、八万石の大名となった。この頃、藤堂高虎によって近世城郭へと改修された。高虎は関ヶ原合戦で東軍に属して戦功を挙げ、十二万石の加増を賜り二十万石の大名となると、国府へ移り、さらに今治城を築いて居城とした。

慶長13年(1608年)伊勢国安濃津から富田信高が十二万石で入封した。しかし、慶長10年に発生した石見国津和野城主坂崎直盛の家臣を殺害した宇喜多左門を匿った罪によって、慶長18年(1613年)に罰せられ改易となった。

慶長19年(1614年)仙台藩伊達政宗の長子伊達秀宗が十万石で宇和島へ入封し、以後代々伊達氏が続いて明治に至る。

説 明

宇和島城は宇和島湾に面した標高73m程の独立峰を中心にした平山城で、現在は城山公園として整備されている。

宇和島城は城山山頂に本丸、北に二ノ丸、さらに北に藤兵衛丸、長門丸、本丸南西下に代右衛門丸、式部丸、東麓に三ノ丸が配されていた。城山の周囲には五角形に堀が巡らされ、南東に大手門、南に搦手門があった。

現存する天守は寛文6年(1666年)頃、伊達氏二代伊達宗利のとき、修築と称して層塔型の三重三階玄関付に建て替えられたと云われ、それ以前の藤堂氏によるものは望楼型天守であったとされている。かつては大手門が残されていたが、戦災により焼失、天守と搦手側にある上り立ち門が現存する建物である。

城の南側にある御殿町に伊達博物館があり、その横に天赦園がある。天赦園には追手門のかずら石が保存されている。

天守の写真

天守(現存 天守)


所在地: 城内本丸
三重三階 層塔型 玄関付き
寛文5年(1665年)建立
重要文化財

上り立ち門の写真

上り立ち門(現存 城門)


所在地: 城内搦め手
薬医門様式 切妻 本瓦葺
市指定有形文化財

藩老桑折氏武家長屋門の写真

藩老桑折氏武家長屋門(移築 長屋門)


所在地: 城内追手
市指定有形文化財

山里倉庫の写真

山里倉庫(移築 倉庫)


所在地: 城内藤兵衛門丸
切妻造り
弘化2年(1845年)
武器庫
案 内

登口は東側の大手、南側の搦手にあるが、大手側は入口周辺に有料駐車場がある。

最寄り駅(直線距離)
0.7km 宇和島駅
2.2km 北宇和島駅
4.1km 高光駅
6.2km 伊予吉田駅
7.7km 務田駅
所在地/地図
愛媛県宇和島市丸之内1
付近の城(直線距離)
1.1km 伊予 鎌の江城
1.2km 伊予 宇和島藩 樺崎台場
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1.5km 伊予 板島城
3.3km 伊予 糠の森城
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4.3km 伊予 中津倉城
6.5km 伊予 犬尾城
6.9km 伊予 兜ヶ森城
7.4km 伊予 萩森城
7.4km 伊予 吉田陣屋
7.6km 伊予 新城
7.7km 伊予 沢近城
7.8km 伊予 石城
7.9km 伊予 西城
8.0km 伊予 中城
8.0km 伊予 西ヶ峰城
8.2km 伊予 下城
8.4km 伊予 松ヶ城
8.4km 伊予 岩倉城
9.0km 伊予 高越森城
9.2km 伊予 雨乞城
9.2km 伊予 一ノ森城
9.3km 伊予 白木城(吉田町)
最終訪問日
2020年8月
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