築城年代は定かではないが竹林院氏によって築かれたと云われる。城主竹林院実親は西園寺十五将の一人に数えられる。
永禄元年(1558年)頃に深田郷の地頭となって京より下向した竹林院氏の居城で、竹林院氏は左衛門佐実親(「清良記」には真清・公義・実親と続いたとある)の時、元亀元年(1570年)土佐一条氏に攻められ、西園寺公広に援軍を要請したが援軍を得られず、一条氏に降伏した。抵抗せず降伏した竹林院氏に怒った公広は竹林院氏を土佐へ追放して大森城主土居清良を一ノ森城の城代としたいう。
一ノ森城は三間町是延と鬼北町吉波にまたがる標高266mの山頂に築かれている。鬼北町の指定史跡であるので住所は鬼北町にしている。
主郭は山頂にあって東西に長く、西端に櫓台がある。主郭の北東端付近からは北と東に伸びた両尾根、西端からは西尾根に曲輪が設けられている。
西尾根は主郭下に東西に伸びた曲輪があり、途中空堀状の窪地が残る。西端は一段高くなっている。ここから西へ降りると小郭があり、その先に堀切が残っている。
北尾根は三段の削平地があり、削平地も広く、切岸も明瞭である。一番下の段には土塁が付いている。
東尾根は二段の削平地があり、その先に一条の堀切、それに面して土塁があり、そこから更に東へ小段が続いて最後に一条の堀切が残っている。
城山の南を通る県道57号線から見えるお寺が目印。お寺から東へ回り込み神社を過ぎて進むと物置となったバスがある。ここから西の谷に通じる道を登る。道は右の尾根にあがり墓地に至る。そのまま進むと上と下に道が分かれるが、上へ進む。すると墓地で道が終っているように見えるが、薮を少しかき分けて進んで行くと道があり、主郭まで通じている。
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