伊予 岡本城いよ おかもとじょう

城郭放浪記


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伊予 岡本城の写真
掲載写真数
形態
山城(225m/85m)
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
石積,土塁,曲輪,堀切,畝状竪堀群,竪堀
城 主
河野氏
縄張図
岡本城縄張図
歴 史

築城年代は定かではない。 戦国時代の城主は三間の中野殿と呼ばれた河野通賢で、高森城と岡本城の城主であった。

戦国時代には土佐一条兼定が度々侵攻し元亀元年(1570年)には人質を出して一条氏に降伏する。しかし西園寺公広によって人質が奪還され、河野氏は以後西園寺十五将の一人として西園寺氏に従った。

天正9年(1581年)(天正7年説もある)長宗我部氏は久武親信に佐竹太郎兵衛・山田外記をもって三間に侵攻、岡本城代河野兼通は長宗我部氏に気脈を通じていたため程なく落城、土佐勢は岡本城に入城した。 高森城に籠もっていた河野通賢は、大森城主土居清良とともに岡本城に押し寄せ、西園寺氏の援軍も加勢して取り戻した(岡本合戦)。

説 明

岡本城は二名駅の南東にある比高80mほどの山に築かれている。

大規模な山城で、曲輪群I、曲輪群II、曲輪群IIIで構成されている。山全体が開墾されていたようで明らかに畑跡である石積みされた段などが見られるが、曲輪の形状は比較的良好である。

主郭はI1で南端に高土塁を設け、西背後に岩盤を砕いた多重堀切7、南側面は畝状竪堀群8を備える。I1からI6までは比較的広い曲輪が拡がり、北尾根にはI7からI10まで西の谷筋に土塁を備えた曲輪群が続く。土塁には石積みが施されており、このあたりは城郭にともなう石積みと思われる。

I10の北下には堀切2があるが、この堀切は通路として利用されており西の帯曲輪群から曲輪I10に入る城道がつながる。横堀5の両端には竪堀3、4があり、竪堀1、3との間は帯曲輪群となっているが、竪堀3は畑跡のような段加工があるので、帯曲輪群も後世の改変の可能性もある。

現在の鉄塔整備道が続く東尾根側にも堀切+竪堀14、堀切15が確認できるが、堀切14、竪堀14は山道の可能性もある。

曲輪群IIは主郭から南西に伸びた尾根のピークにある。曲輪II1は南北に長く南端にわずかに土塁が残る。西下には堀切だったと思われるが北に長く伸びた二重竪堀9があり、その先にも浅い堀切10が確認できる。一方南下は竪堀と浅い堀切11になっている。

曲輪群IIの東下に曲輪群IIIがある。III1は中央西よりに仕切土塁があり、南端にも小規模な土塁が残る。南下は現状堀切にならず、竪堀地形が点在する。

曲輪III2は西端に土塁を備えた腰曲輪で土塁の外側にも堀状地形がある。現在土塁を貫通する作業道が設けられており、虎口であったかどうかは不明である。

案 内

東の谷筋に土居垣内集落がある。この集落の一番奥にある農作業小屋の奥から谷筋に入る山道があり、右上に登って行くと鉄塔のある曲輪I4に繋がる。

車は土手沿いを東へ進むと土居垣内集会所があり、その脇に駐車可能である。

最寄り駅(直線距離)
0.5km 二名駅
0.9km 大内駅
2.5km 伊予宮野下駅
3.1km 務田駅
3.4km 深田駅
主な参考文献
新-宇和島の自然と文化(二)
都道府県別日本の中世城館調査報告書集成 四国地方の中世城館 愛媛県中世城館跡(東洋書林)
日本城郭大系〈第16巻〉大分・宮崎・愛媛(新人物往来社)
中世城郭辞典
三間町誌
所在地/地図
愛媛県宇和島市三間町土居垣内
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付近の城(直線距離)
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1.3km 伊予 松峰城
1.4km 伊予 一ノ森城
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2.1km 伊予 西ヶ峰城
2.3km 伊予 下城
2.6km 伊予 中城
2.6km 伊予 高森城(三間町)
2.8km 伊予 西城
3.2km 伊予 上城
3.2km 伊予 黒井地城
3.3km 伊予 中城
3.6km 伊予 金山城
3.9km 伊予 兜ヶ森城
4.1km 伊予 岩倉城
4.2km 伊予 萩森城
4.3km 伊予 泉が森城
4.6km 伊予 薄木城
4.8km 伊予 沢近城
5.2km 伊予 竹ヶ森城
5.5km 伊予 赤島城
5.5km 伊予 宇和島藩 近永代官所
6.0km 伊予 鳥屋ヶ森城
最終訪問日
2022年9月
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