築城年代は定かではないが今城氏によって築かれたと云われる。 城主今城兵庫頭能信は西園寺十五将の一人に数えられる。
今城氏は有馬殿とも呼ばれ享禄3年(1530年)には伊予国宇和荘有馬今城肥前守平能親の名が残っている。能親は天文6年(1537年)京都にて「大神宮法楽伊予千句」を興行した文化人である。
天文15年(1546年)豊後の大友氏が三間地方に侵攻した際には、今城兵庫頭能信は土居清員、深田竹林院真清、中野通宗と協力してこれを撃退したという。
金山城は小学校の東に聳える標高287.4mの山頂に築かれている。
小学校からの登山道を登りつめると尾根に達する。南東に伸びた尾根は概ね平で、途中一条の堀切を越え更に平な尾根道が続く。山頂に近づくと一条の堀切があり、切岸を登ると小郭がある。この小郭からタイヤが敷き詰められた斜面を登ると北西から南東へ長く伸びた曲輪に達する。この上が主郭である。
主郭は山頂にあって南北に長く、北側がやや高くなっており、ここに案内板や石碑が建てられている。主郭の南端には土塁があり、その南下に小郭が残る。
主郭から北には四段の削平地があり、一部土塁が残る。北側の尾根下には堀切が一条残っている。
成妙小学校を目指す。小学校の東側の道路脇に案内板があり、そこに登山道の入口がある。
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