築城年代は定かではないが西園寺氏によって築かれたと云われる。西園寺氏の居城黒瀬城の出城として築かれ後に法華津氏の枝城となったと云われる。
天文15年(1546年)西園寺実充の要請を受けた大森城主土居清宗が一族を率いて石城に入り城を大改修した。 土居氏は石城にあって豊後の大友氏の攻撃を数度凌いだが永禄3年(1560年)板島から上陸した大友氏の大軍により落城、清宗・清貞・雲影父子は自刃して果てた。
長宗我部氏が侵攻すると清宗の孫清良の持城となり城番をおいた。
城は東の本丸から尾根伝いに二の丸・三の丸と続くが現在、雑木林の中に本丸・二の丸あたりが残り三の丸はミカン畑になっているようだ。 また本丸の西側にも削平地がいくつかあるが石城の遺構かどうかは不明。