元徳3年・元弘3年(1331年)宇都宮豊房によって築かれたのが始まりで、当初は地蔵獄城と呼ばれていた。豊房は伊予国守護に任ぜられ喜多郡を領した。
伊予の宇都宮氏が代々続いたが、天正8年(1580年)豊綱のとき宇都宮氏の家老であった大野直之に追われた。
豊臣秀吉による四国征伐の後、伊予は小早川隆景に与えられたが、天正15年(1587年)小早川隆景が筑前国名島へ転封となり、大津には戸田勝隆が入封する。戸田勝隆が嗣子なく没して改易となると、藤堂高虎が城主として入封し近世城郭として改修する。
慶長14年(1609年)脇坂安治が淡路国洲本より移り、元和3年(1617年)脇坂安元のとき、信濃国飯田へ転封となる。替わって伯耆国米子より加藤貞泰が入り、以降加藤氏が代々続いて明治に至る。
大洲城は肱川に面した小高い山を利用した平山城である。現在は公園として整備されており、天守が木造で復元されている。
大洲城の天守は木造で復元されたものであるが、その脇にある高欄櫓と台所櫓は現存の櫓でともに国指定重要文化財となっている。また肱川に面した部分に苧棉櫓、三の丸の南隅櫓がともに現存して国指定重要文化財、下台所も現存する倉庫建築で県指定文化財となっている。
高欄櫓(現存 櫓)
台所櫓(現存 櫓)
苧棉櫓(現存 櫓)
三の丸南隅櫓(現存 櫓)
下台所(現存 倉庫)
天守(復元 天守)
御門番長屋(復興 長屋)
大洲市市民会館前に有料駐車場がある。
最寄り駅(直線距離)