築城年代は定かではない。
天正4年(1576年)梶谷伊豆守景則が高森城を守っていたが、地蔵嶽城主の大野直之によって攻められ落城、梶谷伊豆守は湯築城主河野通直を頼って城を落ちた。その後、伊豆守は病に倒れ、臨終に際して三人の息子に高森城を奪還することが最良の供養であると言い残してこの世を去った。
天正6年(1578年)嫡男中務丞景雄、二男直右衛門景晴、三男修理亮良景は激しい風雨に紛れて城に忍び込み高森城の奪還に成功した。 天正18年(1590年)梶谷中務は龍王城主の岡宮内と戦って勝ち、岡宮内はこの傷が元で死んだという。
高森城はは大安寺の北方に聳える標高197.7mの山頂に築かれている。 現在主郭一帯は良く整備され石碑と案内板が建てられている。
高森城は山頂の主郭を中心に北と西へ伸びる尾根に曲輪を配している。 主郭の北下に一条の堀切があり、その堀切から伸びる竪堀と合わせて三条の竪堀が北西側斜面に伸びている。そのうち一番南側の竪堀が長く山腹まで伸びている。
主郭下の堀切から少し北へ離れた位置に一条の堀切があり、その先に北曲輪がある。曲輪の北側の堀切で、その先にも曲輪のようであるが、北端は切岸のみである。
主郭から西へ伸びた尾根は石仏が祀られ参道になっている。この尾根は段々と曲輪が連なり、西端を一条の堀切によって遮断している。
城山の山腹に未舗装林道があり普通車でも通行できるのだが、道は悪くしかも大廻りでメリットはあまりない。麓からの比高もせいぜい160m程なので徒歩で登った方が無難であるが、整備された登山道の入口は確認できなかった。
林道の入口は地蔵堂集会所の西側に300m程の県道から少し入った所で、そこから舗装路を進むとy字路になるが、それを右下へ進む。あとは道なりに進んで行けば良い。一番最初の鉄塔がある所が城山の南尾根で、そこから登るのがわかりやすい。(林道入口)
最寄り駅(直線距離)