掲載写真数
形態
山城(145m/137m)
別 名
滝ノ城
文化財指定
なし/不明
遺 構
石垣,郭,堀
城 主
津々喜谷氏
歴 史
築城年代は定かではないが建部年間(1334年〜1338年)宇都宮行胤によって築かれたと云われる。
行胤は下野国宇都宮郷滝村の出自で、伊予国喜多郡手成にきて津々喜谷氏を名乗った。
天正7年(1579年)延行の時、長宗我部氏によって攻められ落城、延行は西禅寺で自刃したという。
説 明
北側の尾根伝いに登ってくると出丸の堀切があり、登りきった所が本丸で、倒壊した社が残されている。
本丸は三角形に近いいびつな形をしており、近世城郭の多聞櫓跡のような幅1m程、長さ数mの長方形の礎石が残されているが社に纏わるものであろうか?
本丸の南には一段下がって二の丸があるが、その西側は高さ1m程、幅2m程の土塁のような削平地が南北に伸びている。
更に南に降った所に三の丸がある。
本丸の北側の斜面には竪堀が三条確認できる。
案 内
南側の米津集落から河内川沿いの道を入り、山へと続く車道がある。ここを登って行くと途中からアスファルトからコンクリートへと舗装が替わるが、その手前のカーブの辺りに墓地があり、それとは別に車道に沿って降っている山道がある。これを進むと写真にある田が見え、更に進むと切り通しの道となるが、ここを左に登って南に進むと山頂に着く。最寄り駅(直線距離)
1.0km 伊予白滝駅
1.4km 八多喜駅
2.8km 春賀駅
4.2km 伊予出石駅
4.9km 五郎駅
所在地/地図
最終訪問日
2007年10月