築城年代は定かではないが正平年間(1346年〜1370年)に石堂本左衛門蔵人によって築かれたと云われる。城主は石堂右馬頭・石堂左馬助持の名が残る。
南北朝時代には河野通盛・通朝によって攻められた。
石堂城は戒川小学校の南に聳える標高356mの山頂に築かれている。
石堂城は東西二郭で構成されている。東の曲輪には社が祀られ、西の曲輪には元禄13年の年号が刻まれた石がある。どちらも鞍部側に虎口らしきくぼみが残っている。 周囲は切岸加工のみで堀切などは見当たらない。
戒川小学校を目指す。小学校の南の山が城址で、東側から尾根上に道が付いているのだが、途中城山の南斜面あたりでシダの群生に埋もれて見えなくなる。谷間に設けられている椎茸栽培の間を通りそのまま登って行く方が簡単である。
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