寛永18年(1641年)加藤直泰によって築かれた。
新谷藩初代加藤直泰は初代大洲藩主加藤貞泰の次男で、元和9年(1623年)貞泰が没したとき、大洲藩領六万石のうち一万石を次男直泰に分知することとなったが、兄である大洲藩二代泰興がこれを認めず、しばらくは紛争が続いたが、寛永16年(1639年)に和解が成立し喜多郡新谷の地に陣屋を構えた。
その後、新谷藩加藤氏は泰觚、泰貫、泰広、泰宦、泰賢、泰儔、泰理、泰令と九代続いて明治に至る。
新谷陣屋は現在の新谷小学校の地に築かれていた。 近年校舎が改築されたようで、上に時計台があるなど陣屋風の建物になっている。以前は金網の内側にあった陣屋の石碑も外側に出されて見やすくなっていた。
最大の見所が学校内に残された麟鳳閣で県の文化財となっている。この建物は慶応4年(1868年)の建築で藩の評議所や謁見所として利用された。
麟鳳閣(現存 その他)