築城年代は定かではない。
享禄年間(1528年~1532年)頃の城主は伊賀崎修理亮宗光、天文年間(1532年~1555年)には伊賀崎修理太夫綱実が城主であったが、天文3年(1534年)大野朝直によって攻められ落城した。
その後は大野直朝の子城戸六郎直泰が城主となり、直泰の子直盛は天正2年(1574年)笹ヶ峠の戦いで討死した。直盛の子直宗のとき曾根城主曾根宣高に敗れ落城、以降曾根氏の家臣河内吉行が城主となった。
龍王城は現在龍王公園となっている。大規模な公園として造成されたためほとんど面影を残していない。