築城年代は定かではない。
橘城の支城で、富永美作守、和気越前守などが居たという。 天正13年(1585年)大野直之は地蔵獄城にて切腹と偽り、身代わりを立てて秘かに城を脱し、実兄大野直澄の居た橘城へ逃れた。直澄は和気越前守を松の窪城へ移し、直之を堀の城に匿った。
天正14年(1586年)大野直之は、無断で橘城に蔵米を貸したことを憤り、そのものを手打ちにしたことから、直之の残忍さ怒りを覚えた伝兵衛なるもの手によって槍で討たれたという。
堀の城は河辺川が大きく蛇行して南を除く三方を巡る地に築かれている。 現在山頂は春日神社の境内となり、ここに石碑が建っている。山腹には本願寺があり、ここも曲輪の跡であろうか。