築城年代は定かではないが天文13年(1544年)曾根高昌によって築かれたと云われる。
曽根氏の祖は宇多源氏佐々木高綱と云われ、近江国愛知郡曾根を名字の地とし、戦国時代に周防の大内義隆を頼り、さらにこの地に来て城を築いたとされる。
高昌の子、曾根丹後守宣高は天正年間(1573年~1592年)に五十崎の龍王城主城戸直宗と争ってこれを滅ぼした。
曾根城は中山川と麓川が合流する地点の北側、南へ伸びた尾根の先端頂部に 築かれている。
山頂部は畑として開墾されていたようであるが、現在は原野に戻りつつある。北尾根の細くなった部分を大堀切で遮断し、その南側を城域としている。
曲輪内は本丸、二の丸、出丸などの表記があるが、せいぜい2mほどの段差しかないくらいの広い曲輪が一面に拡がっている。大堀切に面した北端には荒廃した松尾神社の境内があるが、この部分が櫓台でそこから土塁が伸びている。櫓台下は一段低く、大系の図面では本丸としている。その南側にある畑跡がもっとも高くて広く二の丸とする。この周囲には石積みが多く見られるが、時代は不明である。
南麓の「梺」集落に曾根城入口の小さな石碑があり、そこから山上に道がついているが、山が崩落していて途中で道が寸断されている。
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