築城年代は定かではないが祖母井右衛門尉之重によって築かれたと云われる。 祖母井氏(うばがい)は下野国芳賀郡祖母井の発祥で、元徳3年・元弘3年(1331年)宇都宮豊房の伊予下向に従ってきたと考えられている。
之重は十三歳の時に宇和郡山田城を攻略した功によって粟津郷を賜り、築いたのが平松城(祖母井城)と云われる。この城に井水がなかったが、あるとき老女に名水を教えてもらったことから、これにあやかって「祖母井」と名を改めたと伝えるが、あくまでも後付けされた伝承である。
天文13年(1544年)大除城主大野直家によって攻められ落城、城は大野直光の居城となったが、その後、祖母井氏の家臣水沼城主水沼左京が秘かに忍びこんで直光を討ち取り祖母井城を奪還、祖母井之泰が城主となった。
祖母井城は大洲東中学校の南東に聳える標高125m程の山に築かれている。
主郭は山頂にあり三角形の形で南端が一段高く、西側に土塁が付いている。ここから北西尾根に三段、北尾根に一段、東山腹に二段の小郭が付いている。
北西に伸びる尾根は西側に石積があり、北端の曲輪の付け根に堀切、先端部は山道が付いて不鮮明であるが、ここにも堀切らしきものがある。
北尾根は一段の広い曲輪で東側面に石積、尾根先から降った所に堀切が一条残る。南尾根は二重堀切で遮断し、南側に連続竪堀を設け、南西尾根にも竪堀が付いている。背後の林道の南側には社が祀られている。
南東麓の西念寺の山門から南麓へ伸びた道を進んでいくと林道の入口があり、それを登れば主郭のすぐ南下まで簡単に行くことができる。(林道入口)
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