治承2年・正平18年(1363年)に久保氏によって築かれたと云われる。
貞治年間(1362年〜1367年)頃の城主は久保隠岐守頼春、戦国時代の城主は道春、高行、行吉、伊豆守正行、美作守国春、行春と続いた。
天正13年(1585年)豊臣秀吉による四国征伐で小早川隆景の降伏勧告に応じて開城し以後廃城となったという。久保氏は江戸時代には今坊村・串村の庄屋となったという。
滝山城は壷神山の北東に聳える標高725.9mの滝山山頂(地図によって滝山の場所が異る)に築かれている。
主郭は山頂にあって東西に長く、西下に一段の小段がある。主郭には石積による社が祀られているが、この石はおそらく主郭の側面に施されていた石積を転用したものであろう。石積は北側の側面にはほとんど見当たらず、南側の側面に施されているが大半は崩落している。東側にある参道の石段もこの石を転用したものと見られる。
主郭から東へは堀切を挟んで東西に長い曲輪があり、その下にも一条の堀切が残る。 主郭の西へも同じように堀切を挟んで東西に長い曲輪があり、その下にも一条の堀切がある。ここから尾根を下って行き、やや高くなった所に東西二段の出丸とみられる曲輪がある。
今坊にある慈光寺には国春・行春の墓碑が建立されているとのことであったが見付からず。庄屋となった久保氏の子孫宅には伝来した軍旗があるという。
周囲には壷神山に至る林道があり、滝山城のすぐ下まで車で登ることができる。長浜町今坊(喜多灘小学校)方面からの林道沿いに道標が二箇所設けられていたが、城跡付近には一切案内がない。今坊側より樫谷側からのほうが林道もきれいである。
伊予長浜駅から続く県道330号線を登って行き、樫谷集落から壷神山へ至る林道に入る。林道が尾根上に達する所が丁字路になっており、西へ曲がり少し下って道が広くなっている所の山上が城址である。
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