築城年代は諸説あり定かではないが室町時代後期に安宅氏によって築かれたと云われる。
天正9年(1581年)安宅氏は羽柴秀吉に破れ降伏する。
天正10年(1582年)仙石秀久が城主となるが、天正13年(1585年)脇坂安治が城主となり大改修した。
大坂夏の陣の後はその功により阿波徳島の蜂須賀氏に加増され重臣の稲田氏が城代となった。
洲本城は三熊山に築かれた上の城と、北麓に築かれた下の城で構成され、江戸時代は下の城のみが利用されていた。
下の城は淡路文化資料館、神戸地方検察庁などがある部分でコの字に石垣と堀が巡っていたが、東西の堀は埋められている。淡路文化資料館には洲本城に関する展示があるので是非訪れて欲しい。
上の城は本丸を中心に東西に伸びた山上に総石垣造りの城を築いている。本丸と西と南に虎口があり、周囲を高石垣が巡り北西に天守台がある。小規模でかわいらしい天守はかつて展望台として登る事ができたが、耐震性の問題で現在は登る事ができない。
本丸の東には東の丸、武者溜まりなどがあり東一ノ門の辺りの石垣は珍しい石を利用している。本丸の西は西の丸へと続くが西の丸も周囲を石垣で固めている。
洲本城の最大の見所は東西に残る登石垣で、麓の下の城と連結するような登石垣が残されている。ただ道もなく急斜面で不安定な場所にあるので、経験豊富な方にしか全体を確認するのはお勧めしない。西の登石垣であれば遊歩道沿いに部分的に見ることが可能である。
金天閣(移築 その他)
天守(模擬 天守)
山上に無料駐車場がある。