慶長18年(1613年)池田忠雄によって築かれた。 慶長15年(1610年)姫路藩主池田輝政の三男池田忠雄が淡路国六万石を与えられたが、父輝政が岩屋城を築いて重臣が淡路を支配していた。慶長18年(1613年)淡路の支配は池田忠雄に任され、この忠雄が築いたのが由良城で、従来の由良古城の向かいに浮かぶ成山に築城し、築城に際して岩屋城の部材を転用したといわれる。
元和元年(1615年)兄である備前国岡山藩主池田忠継が早世すると、忠雄は岡山藩の家督を継いだ。
大坂の陣の後、淡路国は阿波国徳島藩主蜂須賀至鎮に与えられ、蜂須賀氏は城代として稲田氏を淡路に派遣した。このとき稲田氏は洲本城を居城とし由良城は廃城となった。
由良城は由良港の沖に浮かぶ成島の北端にある成山に築かれていた。 江戸時代末期には由良城の石垣が南端に築かれた高崎台場に転用されたという。
由良城は幕末に高崎台場を構築するさいに石垣が転用され、明治維新後は由良要塞の一部として砲台が築かれた。現在は山頂部が公園として整備されており、周辺には砲台跡がたくさん残っているが、遊歩道を歩く限りは城の遺構と思われる部分は見あたらない。
成ヶ島渡船があり、わずか1分ほどで渡ることができ、無料の駐車場もある。