築城年代は定かではない。 安宅氏の居城で、永禄年間(1558年〜1570年)には三好長慶の弟安宅冬康が居城としていたが、永禄7年(1564年)に兄長慶によって自害に追い込まれた。その後、安宅信康、安宅清康と続いたが織田氏を離反して毛利氏に付いたため、天正9年(1581年)織田信長の命により、羽柴秀吉らの軍勢に攻められ開城・降伏した。
由良古城は北へ伸びた丘陵の先端頂部に築かれている。
山頂に南北二段の曲輪があり、成山神社が鎮座している。 周囲にも腰曲輪や帯曲輪が広がっているが、土塁などは付いていない。西側は特に雛段状になっているが土取の影響かもしれない。南の尾根に堀切を探したが、すぐ先が民家の敷地で削られており、現状では確認できない。
登り道がわからず東麓をうろうろしているとそれほど古いものではないが、立派な五輪塔三基があった。
成山神社への参道があるが、一番わかりやすい道は民家の前を通る道になっている。城山の東麓の県道沿いに「本朝孝子伝より抜粋」などとかかれた案内板とともに立派な墓がある。ここから南へ歩くと県道から一本中の集落内に入る道があり、それを南へ歩き最初の道を右へ入る。右側に墓地を見ながら切通を過ぎると墓地の上に一軒の民家がある。この民家の前の道を通り奥へ行くと尾根伝いの山道があり城山に至る。(参道入口の地図)