天文年間(1532年〜1555年)立花鑑載によって築かれた。 天正15年(1587年)小早川隆景が筑前一国と筑後、肥前の一部で五十二万数千石を領すると新しく改修した。改修に際しては豊臣秀吉も設計に関わったと云われる。
関ヶ原合戦の後に筑前一国で入部した黒田長政が慶長5年に入城したが、慶長7年福岡城を築いて移り廃城となった。
名島城は多々良側河口の城山に築かれていた。 本丸は名島神社の北側にあり、現在は名島城址公園として整備され、石碑や小早川隆景顕彰碑などが建立されている。この公園の一角に櫓台の石垣や大手の石垣の一部が展示されている。
名島門(脇門)(移築 城門)
城門(移築 城門)