慶長7年(1602年)藤堂高虎によって築かれた。 讃岐国高松城、豊前国中津城と共に三大水城の一つと言われる。
慶長5年(1600年)関ヶ原合戦の功により伊予半国二十万国を領すると宇和島城から国分山城に居城を移した。しかし、高虎は制海権を得る為に今張の地、現在の今治に築城を開始する。
縄張は本丸、二の丸、三の丸を中心に三重の水堀で囲み海水を引き込んでいた。また、中堀には広い船溜りを設けるなど海や川を巧みに利用する高虎ならではのものである。 今治城の天守は高虎が伊勢国津城に移封になった際に解体し伊賀国上野城に移築するため運搬中であったが天下普請の丹波国亀山城の天守として移築され明治まで残っていた。
高虎移封後も飛び領地として養子の高吉が留まっていたが高吉も寛永12年(1635年)伊賀国名張に移封となった。 その後、伊勢国長島から松平定房が三万石で移封し以後明治まで続く。
現在でも堀には海水が引き込まれすぐ近くに今治港がある。 平成19年9月に大手門(鉄御門)が木造により復興し、あわせて土塀なども復興され雰囲気が良くなった。
辰ノ口門(移築 城門)
城門(移築 城門)
御金櫓(復興 櫓)
武具櫓(復興 櫓)
山里櫓(復興 櫓)
鉄御門(復興 櫓門)
天守(模擬 天守)
入口脇に有料駐車場がある。天守のみ有料で他は無料で見学可能。
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