天正16年(1588年)生駒親正によって築城された。 伊予国今治城、豊前国中津城と共に三大水城の一つに数えられる。
播磨国赤穂城主生駒親正は天正15年(1587年)豊臣秀吉による四国征伐後、讃岐一国十七万三千石の領主となり、はじめ引田城に入ったが領地の東に偏りすぎていたため聖道寺城に移った。しかし、ここは山城であり城下町を形成するには手狭であったため、当時玉藻浦と呼ばれていた現在の高松に築城した。
和暦(西暦) | 事象 |
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寛永14年(1637年) | 生駒騒動により生駒高俊は出羽国矢島へ一万石で転封。 |
寛永19年(1642年) | 常陸国下館より松平頼重が東讃岐十二万石で入封。 以後、松平氏が続き明治に至る。 |
高松城は瀬戸内海に面した平地に築かれており、現在は玉藻公園として整備されている。
高松城は天守台を持つ本丸があり、それを取り囲むように北に二の丸、その東に三の丸、南に桜の馬場、西は西の丸を配していた。松平氏の時代に三の丸の北東は北の丸、さらに東に東の丸が拡張された。
本丸は四方を内堀が巡り、唯一鞘橋によって二の丸と繋がっていた。 本丸は小さく、東に張り出すように天守台があり、かつては南蛮造りの三重四階地下一階の天守が聳えていたが、明治17年に取り壊され、その後は初代藩主松平頼重を祀る玉藻廟が建てられていた。近年天守台の石垣改修工事が行われ、天守の地下部分が発見された。
二の丸は本丸の北にあり、北西にある現在の西入口が西の丸、水門のある所が三の丸へと繋がる虎口となっていた。北西隅には廉櫓、その南に弼櫓、南西隅に文櫓、北東隅に武櫓、その南に黒櫓があった。
三の丸には現在披雲閣が建っているが、これは大正6年に再建されたもので、松平氏の時代にはこの二倍の規模の披雲閣があったが、これも明治に入って取り壊されてしまった。
三の丸の北にあるのが北の丸で、北西隅には三重三階の月見櫓付続櫓、水手御門、渡櫓が現存しており、北東隅には鹿櫓があった。
北の丸の南東にあったのが東の丸で、現在のアルファあなぶきホール(香川県県民ホール)、県立ミュージアムがある所である。近代的な建物の下にはなっているものの、東の丸の石垣が北から東に掛けて残存、あるいは復元されており、現在太鼓櫓跡に移築現存している艮櫓はこの東の丸の北東隅にあり、櫓台が残っている。この県民ホールの地下には東之丸の下層石垣が保存されており、見学可能となっている。
三の丸の南に東西に長くなっているのが桜馬場で、南東隅の太鼓櫓跡には東の丸にあった三重三階の艮櫓が移築現存している。桜馬場の東には旭門と太鼓御門による桝形があり、外側には旭橋が架かる。この旭橋は斜めに架かっており、横矢が掛かりやすくしている。
本丸の西、高松築港の西側に南北に走る中央通りの辺りが西の丸であった。
月見櫓(現存 櫓)
渡櫓(現存 櫓)
水手御門(現存 城門)
旭門(現存 城門)
旭橋(現存 橋)
艮櫓(移築 櫓)
鞘橋(復元 橋)
玉藻公園南東側にある東入口の所に玉藻公園用の無料駐車場がある。
以下、訪問当時のものであり、変更されている可能性があります。
入場時間 | 季節により変動 |
休館日 | 12月29日〜12月31日 |
料金 | 大人(16歳以上)200円 子供(6歳以上16歳未満)100円 |