文化財指定
なし/不明
遺 構
なし
城 主
高松氏
説 明
建武2年(1335年)高松頼重によって築かれた。
建武3年(1336年)細川定禅との合戦に破れ落城するがその後、高松氏の居城となる。
天正13年(1585年)城主高松頼邑は長宗我部に属していたが豊臣秀吉の四国平定軍約二万に攻められ将兵約200ことごとく討死して落城した。
現在喜岡寺が建てられている所が本丸跡と言われ、その近くには城址碑が建てられいる。
このあたりは周りの地形より一段高くなっておりそれがわずかに城のあった名残と言えるかも知れない。
案 内
最寄り駅(直線距離)
0.4km 屋島駅
0.6km 古高松駅
0.9km 琴電屋島駅
1.0km 古高松南駅
1.3km 八栗駅
所在地/地図
最終訪問日
2005年10月