天正9年(1581年)中村恒頼(宗卜)によって築かれた。
天正8年(1580年)に中村氏の居城であった田井城が火災で焼失したため仮屋を建てて住んでいたが、天正9年(1581年)に八栗城を築き居城とした。翌天正10年(1582年)長宗我部元親の軍勢に攻められ、一度は撃退したものの夜陰に紛れて備前に逃れたという。
八栗城は四国霊場八十五番札所である八栗寺の境内に築かれていた。
八栗寺の仁王門から南西の尾根先に向かうと「お迎え大師」の石像がある。この手前にある墓地の辺りが本丸と伝えられているが遺構はない。