築城年代は定かではないが長禄年間(1457年〜1460年)に安富山城守盛長によって築かれたと云われる。
安富盛長は雨滝城の出城として志度城を築き、家臣の多田和泉に守らせた。天正11年(1583年)長宗我部元親によって攻められ落城した。
志度城は志度駅の北東300m程の所に築かれていた。現在は宅地で遺構はない。この辺りには字「城」があり、地籍図から方形区画が確認できる。かつては北と西に堀があったというが、現状では確認できない。この地には江戸時代に多田和泉の子孫が庄屋となって政所を勤めていたといい、その屋敷神として地蔵尊、不動尊、五輪塔が祀られていたという。