築城年代は定かではない。 城主は木曽義仲の末裔と伝えられる串田氏で、串田山城守秀直、串田紀伊守義直、串田紀伊守直実と続いたが天正12年(1583年)長宗我部氏の侵攻により落城したという。
串田秀直の室は楠木家より迎えたもので、足利幕府の世では楠木の名を世に出すことがはばかられる為、楠の幹を井側に使用して楠木の井戸と名付けて水神を祀り、楠木の名を後世に残したという。
城は現在の三木中学校の東、新川との間にあったという。串田神社(現在朝日神社)が北西隅に位置するという。付近には串田氏の末裔が建てた石碑と楠木水神社の石祠が祀られている。
三木中学校の東側にある校門から東へ向かって行くと、長樋城の碑があり、その手前の北側に朝日神社がある。
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