詳細不明。この前田東城は『香川県中世城館跡詳細分布調査報告書』で前田城の東側に新しく城跡を発見したと報告されている遺構である。
同書では秀吉から二万石を賜って存続した十河存保がその居城として築城したものの、翌年には豊後国戸次川合戦で討死する。十河氏が断絶したため廃城となり、その伝承も失われたのではないかと推測されている。
前田東城は長妙寺の東側一帯で東西の規模は約200m程と推定される。平城で西や南が堀跡らしき一段低く、曲輪の部分は畑や民家の敷地となっている。道路から見学しただけなのでハッキリとわからないが、西側は堀状に削られ、南西隅は西へ張り出す形となる。