築城年代は定かではないが南北朝時代に三木紀伊守高長によって築かれたと云われる。
三木氏は三木郡八郷三十五ヶ村の地頭で田中城主も兼ねていたが、長禄年間(1457年〜1460年)に雨滝城主安富盛方に所領を奪われ没落したという。
平木尾池の西にあるこんもりと木が茂っている所が城址という。
現状では、南側に土塁がありその上に石祠があって、土塁は中央に開口部が残る。 北側は畑となっていてその中に蓋がしてあるのが井戸跡と思われる。
三木高校の東側を北上すると右側に大きな池があり、その西側に木が茂った小山がある。そこが城址。
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